ポスト資本主義の行方
―発展、満足、自由

株式会社フィスコ 川名 剛

Profile

川名剛

  • 株式会社フィスコ
    ESG研究部部長
    シニアストラテジスト
  • 早稲田大学大学院法学研究科修了。金融系シンクタンク、外資系コンサルティングファーム等にて国内外の大手企業に対する経営コンサルティングに従事し、現職。金融庁金融研究センター研究員、文科省科研費研究「日本の年金資金におけるESG投資のあり方についての研究」研究委員、國學院大学非常勤講師等を歴任。
    主な著書に、「サステナブル投資の法的基盤と実践的課題」(編集代表、共著)、「北米および欧州の年金に関する現地調査報告(運用編・制度編)」(共著、年金シニアプラン総合研究機構)、「グローバルに活動する金融機関の法的規律-世界金融危機とシステム上重要な金融機関-」(日本国際経済法学会年報第20号)、Financial Cooperation in Asia and Japanese Law, with Particular Reference to the Development of Asian Bond Markets (International Corporate Rescue, Vol.3)ほか多数。

近年、ポスト資本主義に関する議論が活発である。それは、産業革命以来、様々な形で資本主義が発展してきたが、21世紀になって、先進国経済の低成長と新興国の不安定な経済発展、社会経済格差の極端な拡大、回復不能に思われるほどの環境破壊など、資本主義が今日の世界にとって持続的な社会経済システムたるかに対し、多くの人々が疑念を抱いているからであると思われる。

資本主義の変遷と“マネー”資本主義

資本主義とは一般に、労働力を商品化し、剰余労働を剰余価値とすることによって資本の自己増殖を目指し、資本蓄積を最上位に置く社会経済システムであるとされる。その構成要素は、生産手段の私的所有、賃金労働、利潤追求のための投資、競争的市場における価格決定メカニズムなどを含むが、その本質は、無限の資本蓄積の永続的な追求である。すなわち、主義ないしシステムの中心概念たる資本が増殖していくこと自体が資本主義の中核であり、その手段、方法、形態は問わない。そこから生まれる財・サービスは、資本増殖のいわば副産物である。重商主義では商品(輸出)力の永続追求を根本基盤とし、重農主義では農業生産力の永続追求を根本基盤としてきたが、資本主義では産業革命によって私的所有の資本が根本基盤となった。では「資本」とは何か。それは利潤と副産物を生み出すための装置であると同時に、装置が駆動することによって生み出されるマネーそれ自体である。マネーは他の財と比較にならないほどほとんどのものと交換可能であることから新たな装置を生み出す源泉となり、その結果としてさらにマネーを生むという効率的な循環をもたらす。このマネーの増殖が、一国の、そして世界の経済的発展・拡大を促し、人々の満足を醸成し、資本主義自体の発展へと至った。

この循環を駆動させる装置は、時代とともに変化してきた。財物が人々の満足の対象であった時代には、商品と貨幣の流通過程において機能し利潤を引き出す商業資本主義が、財物への満足が財物の大量・安定的・安価な供給に拡大してくると、生産過程を内部に持って財物を提供可能とすることでより大きな利潤を引き出す産業資本主義が、安定的な財物の供給により満足すると、産業の高度化や連携によってより新しい満足を与えるために諸産業を束ねる資本を蓄積する銀行が中心的駆動装置となる金融資本主義が、金融市場が高度化し資本の供給装置が多様化してくると、最も効率的な資本供給装置である株式を所有する株主が中心となる株主資本主義が、それぞれの時代に登場してきた。そして株主資本主義までは、装置としての資本と利潤としての資本の間に何らかの財・サービスという副産物があり、それが利潤を提供する受益者の満足を付与するという一定の均衡があった。しかし、株式市場が大衆化し金融技術がコモディティ化してマネーがマネーを生む、いわば“マネー”になると、それらは自己循環に陥ることとなった。すなわち、その循環が曲がりなりにも動いているように見せるためには、利潤を提供する受益者に満足を与えるのではなく、満足を欺罔することによって受益者から収奪するほか利潤を得る方法がなくなってしまうのである。

知識主義と知識資本主義の相克

では、この自己循環に陥らないために、資本主義はどこに向かうべきか。その解の一つとされるのが、知識(情報、認知)主義である。この考えのもとでは、経済における最大の価値は「資本から生まれる生産」ではなく「知識から生まれるイノベーション」であるとされる。この要諦は、価値の源泉が資本ではなく知識(あるいは情報、認知)としている点である。では、「知識」はどこから出てくるのか。それは基本的には個人の脳からである。それが産業や金融といった資本主義の装置を介さずに価値を生み出せれば、個人を中心とした知識主義が次の経済システムになる可能性がある。

もっとも、知識主義を経済システムとして駆動させるためには、その体系化が必要になる。経済システムに貢献可能な知識とは、成果を生むための高度に専門化された知識のことだが、知識は高度化するほど専門化し、専門化するほど単独では役に立たなくなる。つまり他の知識と連携して初めて役に立つ。ここで重要になるのが「組織」である。専門知識を有機的に連携させ、さらには結合させる場が組織であり、企業、政府機関、NPOなど、人が目標に向かってともに働く場すべてを指す。したがって、知識が中心となる社会は、必然的に組織の社会である。もちろんここで言う「組織」とは、硬直的・閉鎖的な資本的大組織のことではなく、協力、連携、パートナーシップを含む多様なつながりが基盤となった出入り自由な組織のことである。このような緩やかなつながりは、ITの急速な個人への浸透によってより簡便になり、思考、生産、流通などの経済活動が大きな資本によらずともできるようになり、個人の活動が価値の源泉となる。それゆえ、知識主義は新たな個人主義を必然的に内包する。

それでは、この知識主義の根本基盤は何か。それは、個人に根差す知識が循環するものでなければならない。ここで2つの相反する道が想起される。1つは、個人間のパートナーシップの拡大と、そのような個人の活動による価値の創出は、経済システムとして価値が個に還元されることから、個の福祉の向上を志向すると考える行き方である。旧来の資本主義においては経済価値の還元はマネーの拡大に向かったが、新たな個人主義においては「個の存在」を有意義にすることがさらに価値を生むことにつながるため、個にとって有意義な社会に資する活動に向かう可能性がある。いわゆるソーシャルビジネスがこの延長線上にしばしば考えられる所以である。

その一方で、個が経済活動の主体として隆起してくると、個と個のかかわりは、より経済偏重になる。現在でも、結婚や友達付き合いさえも「コスパ」で考える風潮が出始めているが、新たな個人主義のもとでは、よりドライな「孤人主義」に行きつく可能性がある。ただ、知識主義においては、知識を用いた経済活動から生じる金銭的利潤の蓄積を循環要素としないので、資本主義下の思考である「コスパ」はむしろナンセンスであると言える。現在では、経済活動の結果としての価値の蓄積は資本しか考えられないので、知識主義においても個人のマネーの追求を想像してしまうが、知識主義の循環の基礎となるマネー以外の根本基盤が共有されたとき、ポスト資本主義としての知識主義が機能することになると言えよう。

マネー資本主義の自己循環が回避されるもう1つの行き方は、知識(情報・認知)資本主義への展開である。ここでは、知識が価値を持つ点では上記知識主義と同じだが、その源泉たる個は巨大資本(プラットフォーマー)の上で知識の交換を行う存在となり、その価値はプラットフォーマーに吸い込まれる。知識という価値の創出は個にあるとしても、その創出のインフラが巨大資本に握られると、創出される知識自体は資本という装置が操作する対象(副産物)に過ぎなくなる。さらに、知識がプラットフォーマーに蓄積され、AIで解析され、知識の質ではなく情報の量が価値を持つことになると、それは情報資本主義の面を強くする。ここにおいては、個の知識ではなく情報が副産物として利潤提供者たる受益者にもたらされるが、それらはむしろ個人の知識を活かすのではなく、提供される情報によって行動する個を生み出していく。それはやがてIoTからIoH(Internet on Human)に進展していくであろう。

これまで経済システムの作り手は、私有資本を基礎とする資本主義であっても国家であったが、情報資本主義においてはGAFAのような民間企業が巨大かつ不可欠なシステムプランナーになっている。しかし、これら巨大企業がシステムの独占を維持するには独占を正当化する人為的制度(知財、参入障壁、補助金、課税回避容認など)が介在する必要があり、その多くは国家が提供している。また、GAFAは米国発のプラットフォーマーであるが、中国ではBATHが巨大になり、欧州では情報独占を制御する法制を構築してきている。また国家の擁護がない場合、現在のプラットフォーマーを凌駕するプレーヤーが出る可能性は、デジタル社会の現在こそ高い。国家は巨大プラットフォーマーと結びついて、これまでと同様資本主義に寄り添って生き続けるのか、独占的プラットフォーマーが国家を凌駕して(蝕みながら)新たな勢力図を作り出すのかは、情報のデジタル化や技術の高度化の中で、別の重要な論点となろう。

人間の生存への意思と資本主義の行方

それでは、この情報資本主義の行きつくさらに先は、どのような世界が想像できるであろうか。IoHの進展やAIの高度化は、それを利用する人間の行動を制御し、人間がコンピュータに支配される時代が予見されている。情報資本主義の支配者もそれから逃れられないかもしれない。情報が支配する対象が人間の「行動」であるだけならまだしも、生物としての根源と言える「生存への意思」(≒自由意思)が情報技術によって完全に支配される未来があるのであろうか。その脅威が迫ってきたとき、やはり人間は生存への意思に有益な次の経済システムを模索するのではないかと考える。そこで生まれてくるのはやはり知識主義的な方向であり、その知識が生み出すのは生命の持続や宇宙生活に資する知識などが想像される。それが、これまで同様資本の蓄積を最上位とする資本主義の副産物なのか、資本に代わる根本基盤となって循環するシステムになるのか。そういった相克の中で、人間の生存への意思にとってよりよい次の経済システムが選択・構築されるのではないかと考えるのである。

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川名剛

  • 株式会社フィスコ
    ESG研究部部長
    シニアストラテジスト
  • 早稲田大学大学院法学研究科修了。金融系シンクタンク、外資系コンサルティングファーム等にて国内外の大手企業に対する経営コンサルティングに従事し、現職。金融庁金融研究センター研究員、文科省科研費研究「日本の年金資金におけるESG投資のあり方についての研究」研究委員、國學院大学非常勤講師等を歴任。
    主な著書に、「サステナブル投資の法的基盤と実践的課題」(編集代表、共著)、「北米および欧州の年金に関する現地調査報告(運用編・制度編)」(共著、年金シニアプラン総合研究機構)、「グローバルに活動する金融機関の法的規律-世界金融危機とシステム上重要な金融機関-」(日本国際経済法学会年報第20号)、Financial Cooperation in Asia and Japanese Law, with Particular Reference to the Development of Asian Bond Markets (International Corporate Rescue, Vol.3)ほか多数。